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2007年08月 アーカイブ

老兵は死なず  水島 総

 映画「南京の真実」の撮影で、七月初めに北陸三県(石川・富山・福井)と三重県を巡ってきた。南京攻略戦を実際に戦った元兵士達にインタビューする撮影である。
 南京問題の専門家阿羅健一氏から紹介していただいた九十八歳を筆頭に、全員九十代の方々十人である。それぞれお会いして驚いたのは、その顔つきだった。面構えと言ってもいい。それぞれが、昔懐かしい日本人の顔をしていた。現代の若者によく見られるのっぺりした二枚目顔とは極北の南京大虐殺の捏造を許すまじという気迫に溢れた面構えの人々だった。普通の庶民でいながら、どこか侍の風貌を全員漂わせていた。伊勢の稲垣氏は元獣医さんで輜重隊の士官だったが、その他の皆さんは、下士官か兵隊で、戦後の職業も自衛隊員になった方もおられたが大方は農業や役人とかごく普通の人である。

 それぞれ二時間以上のロングインタビューとなったが、私は意識的に慰安婦の問題を具体的に聞いてみた。南京大虐殺肯定派の人々は、虐殺だけではなく、二万人から八万人の日本軍の強姦を主張している。しかし、慰安婦とそのシステムが南京に存在したとすれば、間接的にではあるが、大量の強姦事件などは否定できるのである。まあ、強姦やり放題だったとすれば、慰安婦など必要無い筈だからである。これまで、この慰安婦の問題は、南京攻略戦の中でもあまり報告されて来なかった。
証言する元兵士たちも、公娼制度が廃止された現代では、子供や孫の前で「女郎買い」の話をする気にはならないだろう。しかし、この証言がおそらくもう最後の南京戦生き証人の撮影になるだろう事、また、私たちが死んだ後の百年、二百年後の日本人の子孫に残すものとして、心して正直に、ありのままを話していただきたいと頼むと、全員、真剣に私たちの質問に答えてくれた。

 慰安婦事情について、結論から言えば、南京陥落十日後くらいに物資の到着と同じくして、慰安婦のグループが南京に到着し、営業を始めたとの証言を複数の方から聴取した。慰安婦グループの構成は、朝鮮人の親方(ボス)の下に、日本人、朝鮮人、支那人の二十数人で構成されており、朝鮮人慰安婦が最も多く、日本人と支那人は数人だったという。司令部付きだったある元兵士の方の話では、朝鮮人ボスは、司令部に各部隊の配置を聞き、各部隊へ慰安婦たちを巡回させて「商売」したそうである。逞しい商魂ではある。買春の値段を聞くと、兵隊は挑戦人慰安婦相手だと、八十銭と安く、一日、一人で十人以上を相手にしたそうだから、結構、いい金になったのである。当時、二百円あれば家を買えた時代である。日本人慰安婦は割高で、主に将校相手だったらしい。

 兵士たちが自分の「女郎買い」について、子供や孫の前で話したがらないように、日本人の元慰安婦たちは、決して話したがらない。自分が体を売っていたことや貧窮のせいで自分の親から売春業者に売り飛ばされたことなど、正直に言いたくないのはよく理解できるのである。時代がそういう時代だったのだ。しかし、沈黙していればいいものを、あるいは厳しい現実を直視したくないためか、被害者面をして開き直り、嘘をつき、日本政府に補償や謝罪を要求する浅ましい元売春婦の朝鮮人がいる。彼らはその時代が生んだ不幸な被害者かも知れないが、日本政府に謝罪や補償を要求するなど、お門違いである。現に、つい最近まで、韓国ではキーセンという膨大な数の売春婦が政府公認で存在したのだ。

 沖縄が良い例である。沖縄の人々は、日本軍と共に、軍民まことに見事に戦い、多大の犠牲者を出した。その戦いぶりは、私たち日本人全体の誇りである。しかし、生き残った沖縄の人々は、戦火で倒れた沖縄県民の崇高な祖国防衛の志を踏みにじり、生き残ったことの後ろめたさからか、すべての不幸を日本の軍国主義のせいにした。反戦平和を叫びながら、その実、戦争と基地の被害者面で、補償だ、金だと日本政府に要求し、年間一兆円もの金を毎年受け取ってきた。いつの間にか、金を政府から分捕るための隠された目的の反戦平和運動を展開しているのである。ここまで、沖縄県民の純粋で崇高な精神を堕落させたものは何か?沖縄県民が声高に文句を言いさえすれば、どんどん金を渡し、金漬けにして沖縄県民の心をスポイルしてきた政府と政治家であり、金がすべて、金で何でも解決できると考えるその精神構造である。日米安保に頼りきって、自助努力を放棄し、金を渡して自国の安全を米国任せにし、日本の安全保障のための基地という崇高な目的を説明せず、迷惑料のように金をばら撒いてきた思考構造は、まさに金取り主義に陥った沖縄人とまったく同じである。反戦平和という美名に隠された偽善と欺瞞の戦後思考構造を今こそ打ち破らなければならない。沖縄を変えることは、日本を変えることになるのだ。
 また、いわゆる「従軍慰安婦」問題も、「南京大虐殺」問題も、日本政府から謝罪と金をふんだくろうとする構造に変わりない。これを正す戦いは、まさに戦後レジウムの転換なのである。私たちは、それをしなければならない。

 ともあれ、私の出会った南京戦の老勇士たちの表情は、生き生きと誇りに満ちて、美しかった。老人の美しさというものを初めて知ったような気がした。
 私は日本人として生まれてよかったと、改めて誇らしく思ったのである。