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2012年01月 アーカイブ

映画「南京の真実」第二部・検証編 の製作状況について H24/1/30

映画「南京の真実」第二部・検証編 の 製作状況につき、改めて、皆様に御報告申し上げます。

まず、前回から一年以上に亘り、御報告が遅れてしまいましたことをお詫び申し上げます。

御承知のとおり、昨年(平成23年)は、戦後日本と日本人の真価を問い直すかのような未曾有の災禍となった東日本大震災が発生し、その被災地支援や取材に多くの時間を割いたほか、尖閣諸島が我が国固有の領土であることを示すための集団漁業活動の展開や、NHK・フジテレビをはじめとする既存メディアの報道姿勢追及等のため、監督をつとめております水島総が多忙を極め、編集作業を行う時間を確保することが非常に困難な状況にありました。

また、情報戦の一環として、次作を世に出す時機を窺っていたということもございます。
その意味においては、北京五輪の開・閉会式の総合演出も手掛けた張芸謀(チャン・イーモウ)監督による “南京大虐殺”映画 「金陵十三釵(The Flowers of War)」 が、中国以外でも公開され始めた今年は、「南京の真実」第二部・検証編 を世に問うべき好機であると考えております。

そのようなわけで、現在、今年夏頃の公開を目指し、編集作業を進めております。

製作費の御支援のほか、様々な形で御賛同、御協力をいただいている皆様には、お待たせしてしまいましたことを重ねてお詫び申し上げるとともに、今年公開に向けての動きに、ぜひ、御期待いただきたく存じます。

今後とも、皆様の変わらぬ御理解、御支援の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

弁慶の立ち往生 H24/1/30

映画「南京の真実」に関連し、監督・水島総が、日本文化チャンネル桜・公式メールマガジン「桜・ニュース・ダイジェスト」(第269号・H24.1.28発行)にて執筆いたしましたエッセイを、下記に転載いたします。

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「弁慶の立ち往生」

             日本文化チャンネル桜代表 水島 総

年頭の産経新聞に、中国のチャン・イーモウ(張芸謀)監督の南京「大虐殺」映画「The Flowers of War」が中国国内で大ヒットしているという報道があった。この映画の効果か、「小日本(日本の蔑称)」を非難し、憎悪する国民が増えて、尖閣諸島「奪還」を主張する気運が高まっているという。ちなみに、この映画「The Flowers of War」は製作費八十億円(中国の物価水準を考えるとその約二倍の百六十億円)で、今時、アメリカのハリウッドでも、このような規模の映画はなかなか製作されない。

そして、この映画を監督したのが、北京オリンピックの総合演出を担当した有名なチャン・イーモウ氏である。文革批判映画で世に出たこの人物が、中国共産党の御用映画監督になり果てた今の有様を見る時、何か複雑でたまらぬ思いになる。

チャン・イーモウ氏は、他の国に生まれていれば、おそらく世界的な大映画監督となった可能性があった。中共の一党独裁の圧政の下、かつてはチャン・イーモウ氏も、人間の自由や尊厳を真摯に考える人物だったことは確かだ。監督作品が公開禁止になったこともあった。

彼を非難することはたやすい。しかし、こういう人物ですら、金や地位や権力、あるいは中華主義愛国心によって、かくも変貌していくのである。そういう姿を見、その内面を思う時、人間存在への底なしの深い虚無を垣間見る思いがして、背筋がうすら寒くなる。打算的で現世的な支那人の民族性や「中国」人としての愛国心を差し引いて考えても、ため息と共に、人間個人の限界や滑稽や悲惨を感じざるを得ない。

しかも、このような例は、世界のどの国の歴史にも存在している。現在の我が国も例外ではない。権力に擦り寄り群がる御用学者やジャーナリストたちが、今も昔も、永田町周辺を跋扈し続けている。あるいは戦後日本の生み出した「大衆」に擦り寄り、媚びへつらうマスメディアやジャーナリストも同様である。

あの民主党への「政権交代ブーム」や「反原発ヒステリー」が、双方いかに類似した現象であったかを思い出すと、東日本大震災は、完膚無きままに戦後日本の欺瞞と偽善を暴き出した。似非文化人やジャーナリストたちの化けの皮が剥がされ、彼等がいかに唯物論的な設計主義に毒されているかを無惨に晒すことになったのである。

これは、「日本」を主語にし、「日本」を基軸に出来ない人々の「ブレ」と言うだけでは済まない問題である。東日本大震災は、根本から戦後日本総体を問うたのである。とりわけ、「戦後保守」と呼ばれる人々の惨状は、凄まじいと言っていいものだった。

保守思想とは、「所詮、世の中、うまくいかないもんだからね、でもなあ、少しずつでも、お互い助け合って、ちっとは生きやすい世間をぼちぼち作っていこうや、それにしても、ご先祖さんは大変で、偉かったんだねえ、こうしてなんとかここまでやってきたけれど、まあ、生きるってことはお互い、何だか辛えもんだよな、ほんと哀しいもんだよなあ、でもね、あんたがいるから、俺らあ、何とかやっているよ」といったものだと思っている。

この「あんた」は、女房でもいいし、恋人でも、友人でもいい、あるいは、畏れ多いことだが、天皇陛下への思いでもいい。「あんた」は、他者や共同体、あるいは先祖や子孫といった縦の時間軸であり、つまりは「日本」である。

こういった「日本」無しには生きられない欠損だらけの自己を自覚出来なくなったのが、傲慢で半知半解の「大衆」、すなわち私たち戦後日本人ではないか。制度ややり方、方法で、世界が変えられると盲信し、自己過信する唯物主義の浅ましさが蔓延した結果、民主党政権誕生や原発騒ぎとなったのではないのか。残念ながら、今もそれは続いている。

世界は簡単には変えられない、少しずつしか、変えられない。私たち自身が簡単に変われないように、変われない。私たちが人間だから。これが根本原因である。これに私たちは耐え抜かなければならない。

それを考えれば、能力と才気あふれるチャン・イーモウの一種の「転向」は、戦後日本人のほとんどが歩んだ道と同じものであり、私も映画監督という同業者のはしくれとして、ある痛みを抱きながら、この現実を見つめざるを得ない。

しかし、彼我には大きな違いがある。私たちが日本人であることだ。世界最古の唯一無二の皇室を戴く日本国民であることだ。

私たちは、例え今は「故郷喪失」や「家族喪失」を感じていても、実は帰っていく場所が存在している。実は、日本のような国は、今、世界に存在していない。神武天皇御即位以来二千年以上、家族のような国家として有り続けてきた自然国家「日本」、私たちは、そこにただ還ればよいのである。

さて、北京で公開された「The Flowers of War」のこれまでの興行収入は四億五千万元(約五十五億八千万円)で、中国映画としては二〇一一年最大のヒットとなったという。ただし、鼻息荒く乗り込んだアメリカハリウッドでは不評で、リアリティーに欠けると、ゴールデングローブ賞も外れ、アカデミー外国語映画賞に至っては、最後のノミネートにも選ばれなかった。

中国の興行収入も、情報管理を徹底的に行う一党独裁の中国当局の発表だから、話半分としても、中国国内のヒットは確かだろう。この国内ヒットという点が、三年前に世界中で百億円以上の制作費を使い、世界各国で製作された十本あまりの「南京大虐殺」映画とは、様相を異にしている。

三年前、私は映画「南京の真実」第一部「七人の『死刑囚』」を製作し、全国の都道府県で上映会を開催し、三万人以上の人々に見てもらった。靖國神社の遊就館でも長い間上映していただいた。アメリカロスアンゼルスとドイツのフランクフルトでも、上映会が開かれた。

私は南京「事件」の根源を、GHQの東京裁判にあると考え、七人の「A級戦犯」の処刑を通じて、「南京大虐殺」の嘘を告発した。ご覧頂いた多くの皆さんに御褒めの言葉をいただいたが、反対に酷評する人もいた。直接的な、「南京虐殺」プロパガンダ検証の内容ではなかったことや似非芸術映画風に受け取った人もいたからだ。それは仕方ない事だ。

映画作品は完成した後、様々に受け取られ、様々な評価を受ける。例え、それが悪意に満ちた誹謗中傷やプロパガンダであっても、黙って耐えるしかない。映画製作者としてただ、己の信ずる道を歩むしかないのである。

ただ、政治的効果の面だけを考えれば別である。あの年に作られた「南京大虐殺」映画十本に対抗し、反「南京大虐殺」キャンペーンの日本映画を唯一本であるが作れたのである。これは、大きな「引き分け」効果を生み出した。皆さんの支援の御蔭であり、心より御礼申し上げたい。

しかし、私以外、日本国民の誰一人企画せず、製作しなかったことも厳然たる事実だ。この事を渡部昇一先生は映画評の中で述べておられる。

「当時、日本の報道陣は落城後の南京に入り、二日目からカメラを回して城内を撮影、隅々まで記録している。この貴重なフィルムが映画ではふんだんに使われている。(略)その真実が、百万言を費やされるよりも確実に実感できるに違いない。(略)それにしても、向こうの映画十本に対してこちらはたった一本。これでは蟷螂の斧にもならない、と思うかもしれない。だが、そうではない。十対〇では確かにサンドバッグである。殴られるままに手放しで殴られているよりしようがない。だが、十対一となると、〇とは話がまるで違う。一の重みは大きい」
渡部昇一氏 (『致知』2008年4月号「歴史の教訓」より抜粋)

西尾幹二氏にも批評を戴いた。

「『七人の死刑囚』は、戦後社会とみじんも和解していない。(略)七人のA級戦犯の時世の歌に忠実に、処刑の時間までを緻密に、リアルに描いた『七人の死刑囚』は、自己犠牲の美しさとか個人のヒューマニティといった一般道徳の次元に逃げていない。(略)和解などあり得なかったあの戦争の敵の実在、運命そのものを正面から見据えている」
西尾幹二氏 (『修親』寄稿「天下大乱が近づいている」より抜粋)

嬉しい批評も頂いた。二つほど挙げる。

「七人の死刑囚の淡々とした語り、そぶりの中に、観客の脳裏には言いしれぬ深い感動、あるいは哀しみがふつふつと浮かび上がっていく。(略)などというおどろおどろしい形容詞とはまったく無縁な、心から国を愛し、家族を愛し、自分の就いた公務に熱心であった極々普通の日本人であった姿が、我々に感動を与えているのである」
田中秀雄氏
(『史』3月号「映画『南京の真実』第一部
      『七人の死刑囚』の革命性」より抜粋)

「評論家の福田恆存は『私の演劇白書』で、自分は能について予備知識がなく、能舞台の楽しみ方も知らないが、しばらくぶりに能を観たとき、最後になって感涙にむせんだと語り、「こういう感動の質は(近代的な)新劇に求めても得られぬものだ」と述べた。『七人の「死刑囚」』の感動についても、同様の特徴が指摘できよう。優れた芸術は理屈を越えた感動をもたらす何かを持っているとすれば、同作品には真に芸術的な要素も見られるのだ」
佐藤健志氏
(『別冊正論』Extra.09 「殺されゆく者たちの正義
      『七人の「死刑囚」』が語るもの」より抜粋)

いよいよ、春からチャン・イーモウの「南京大虐殺」映画が、世界各地で公開され始めるらしい。私も再び、これに対抗する「南京の真実」第二部の完成に向け、動き出している。

今回もまた、私以外に反「南京大虐殺」映画を作ろうとしている人は、皆無の様だ。ただし、妨害や邪魔をし、誹謗中傷に邁進する輩は山ほどいる。残念ながら、これが戦後日本の無惨な状況である。これが戦後日本人の実の姿である。

しかし、私も彼等と同じ時間帯を生きている戦後日本人である。彼等は私自身の影のように、悪性腫瘍のように、戦後日本に生まれた私の一部であり、切っても切れない間柄なのだ。だから、私は歩みを進めながら、後ろから斬りつけられても、撃たれ続けても、満身創痍のまま、笑顔で前に進み続ける決意である。

以前も書いたが、私の座右の銘は、尊敬するドイツの作家トーマス・マンの「DURUCHHALTEN=持ちこたえること」である。マンは、ナチスに追われた後、亡命先の書斎の壁に「私がいる場所にドイツはある」と貼りつけて毎日見ていた。偉大な作家に及ぶべくもないが、私もそうありたいと願っている。

私は「草莽崛起」と「敬天愛人」を社是に、チャンネル桜と頑張れ日本!全国行動委員会を立ち上げた。日本が文字通り、滅びようとしている危機にあって、今、私は、仆れるわけにはいかない。負けるわけにもいかない。持ちこたえ続けるのみである。

「草莽崛起」がいかに、しなやかで強く、優しく、誇りに満ちた者たちの行為であるかを、私や私たち自身で証明しなければならないからだ。

草莽の同志たちは、今、本当に困難な戦いを続けている。全国各地で、孤独な戦いを「反日軍」と戦い続け、いつか来る援軍の「日本軍」を、雨や雪や風に耐えながら、待ち続けている。日本人である誇りと矜持を胸に、この持久戦、消耗戦を戦い続けている。

だから、指揮官として、私はどんなことがあっても、立ち止まるわけにはいかない。前へ、前へと歩み続ける。もし、私が倒れるなら、必ず前のめりに倒れようと決めている。もし、私が立ち止まるなら、弁慶の立ち往生のように、日本の敵を食い止めて終わりたいと願っている。

なぜなら、私は草莽の日本国民だからである。それ以上でも、それ以下でもない。それで十分だろう。

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