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映画「南京の真実」第一部「七人の『死刑囚』」
 アメリカ ロスアンゼルス試写会報告記 H20/10/25

映画「南京の真実」第一部「七人の『死刑囚』」の試写会が、米国・ロサンゼルスにて10月14日に行われました。 海外初のお披露目となったその模様を、現地へ赴いた監督・水島総よりご報告いたします!
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映画「南京の真実」 アメリカ ロスアンゼルス試写会報告記 水島 総

十月十四日、アメリカのロスアンゼルスで映画「南京の真実」(英語字幕版)の試写会が開かれた。 メディアにも声を掛けたということで、上映挨拶と質疑応答のため、私もアメリカに出かけた。 第二部の米国ロケの打ち合わせやロス試写会を支援いただいた在留日本人の皆さんとの交流会も予定されていた。 二泊四日の短い旅だったが、とにもかくにも「南京の真実」を世界へアピールする第一歩となる。 規模は小さいが、中共政府の南京大虐殺キャンペーンに、アメリカで反撃を開始したという事実が重要だ。

出発前、スタッフは私の安全を随分心配していた。 以前、ある中国人から「社長、あなたは中国のインターネットでは有名人ですよ、抹殺しろという投稿多いんだから、正直、狙われてるよ、特に海外は気をつけてよ。交通事故、自殺、強盗殺人、毒殺、いろいろあるよ」と「脅されて」いたからだ。 確かにカリフォルニアの中国コミュニティーは、大きく影響力も強い。 以前、その妨害によって米国ロケを断念した経験もある。 だから、皆、真剣に心配してくれたのだ。 恰好をつけるわけではないが、私はそれなりの覚悟でこの仕事をしているし、五十歳を過ぎて、南州翁遺訓にある「命もいらず、名もいらぬ、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり」という実感を多少なりともするようになった。 しかし、始末に困って卑劣なテロで殺されるのはまだ御免である。 そこで、まあ何をしたかは控えるが、それなりの準備をして渡米した。 冗談として記すが、私は絶対自殺しないので、ホテルの窓や屋上から私が落ちたら暗殺されたということである。 ロス疑惑の三浦容疑者の怪死という例もある。

ロスは雲一つない晴天だった。 しかし、迎えに来た現地コーディネーターの最初の話題は、金融危機で米国内の映画の発注が減るという暗い話だった。 着いた日の夕方、日系人向けのFM放送局のインタビュー番組にゲスト出演し、「南京の真実」について一時間ほど話す。 インタビュアーの女性は、ディレクター、音声、アナウンサーと一人ですべてをこなす。 有料の日本語ラジオ放送だが、チャンネル桜同様、経営は苦しいらしい。 ロスを訪れた様々な分野の日本人にインタビューして、放送しているという。 二本分収録。 てきぱきした仕事ぶりに感心した。

翌日は昼過ぎから試写会開始。 通訳のU君(21歳)が車で迎えに来る。 テキサスの大学に留学し、ロスの大学に移って、今年卒業したらしいが、なかなか頭の切れる好青年だ。 今日の挨拶と質疑応答の通訳をしてくれることになっている。 日本から来る映画監督や映画俳優たちの通訳も結構勤めているという。 十一時半、会場のシネマコンプレックスへ。 以前はバージンレコードのビルだったらしい。 会場で映像と音声チェックをして、画質の悪さを指摘してプロジェクターを変えさせ、それからU君と製作ナベさんとで、昼食。 温野菜サラダのハーフと珈琲だけを頼んだが、上にチキンが乗っかっていて、それで十分の量があった。 百キロ級の私が言うのだからまあ、さすがアメリカである。

開始時間が近づくにつれ、現地スタッフの静かな緊張が伝わって来た。 妨害や脅迫は、試写会に対してだけでなく、彼らの命や他とのビジネスに対しても行われる可能性があるのだ。 来場者は五十六名。 上映前、十五分ほど通訳つきで私が挨拶した。 十三時半、試写開始。 英語版は編集後初めて見るので、自作品ながら思わず引き込まれて観てしまった。 終了後、七、八人が拍手。 その後、通訳を通して質疑を受ける。 質問者たちは、皆一様に映画を誉めてくれた。 お世辞かもしれないが、予想した「右翼」プロパガンダ映画ではなく、能などが出てくるアート系風の映画だったので戸惑っているようだった。特に質問が集中したのは、冒頭の東京大空襲と原爆の部分だった。原爆投下と南京大虐殺との関連について、彼らは全く意識しておらず、驚いたようだ。幻想場面での能についての質問もあったが、意外に能を良く理解しており、来てくれた人達の知性を感じて嬉しかった。

質問を敷衍する形で、南京陥落から七十年も過ぎて、なぜ中共政府が南京大虐殺映画キャンペーンを始めたか、政治的意味について話した。 つまり、これは近未来の戦争準備、あるいは核ミサイルによる日本攻撃を想定した情報戦略の一環であること、南京大虐殺があったか無かったかの単なる歴史論争ではなく、勝れて日本と東アジアの安全保障の問題だと指摘した。 アメリカが原爆投下の大虐殺直後に、東京裁判において南京大虐殺を持ち出したように、七十年後の「南京大虐殺」キャンペーンは、中国が日本の東京や大阪に核ミサイルを落とす、あるいは核攻撃すると脅す可能性を十分示しているのだ。 単なる反日歴史カード作りのキャンペーンでは無く、本気で核ミサイル投下を想定しているのである。 中国が日本を核ミサイル使用で脅したり、実際に発射しても、過去における日本の「中国侵略」や南京大虐殺等の「戦争犯罪」をフレームアップし、復讐止むなしとなるべく、米国や世界各国に情報宣伝工作をしているのである。 この質疑応答終了後、日系新聞「サン」とロスの学生新聞の中国系記者から取材を受けた。 二人ともリベラル系の人だとわかるが、公平な質問ぶりだった。 まあ、どういう記事になるかはわからない。 あまり通信社や新聞社は来ていないようだ。 後で聞くと、中国系のメディアへの連絡は、コーディネーターがトラブルを恐れて、しなかったらしい。 トラブルが起きたほうが、むしろ話題となっていいのだが、現地の事情と現地に住む人間のことを考えると、怒るに怒れないところもある。

上映後、ロビーで以前お会いした大学教授のMさんご夫妻やLA竜馬会のIさんたちの挨拶をうける。 記念写真や立ち話の後、同じビルにある寿司レストランで二十人近い在留邦人の皆さんと会食。 みんな結構好意的に話しかけてくれるのは嬉しかった。 元航空自衛隊の空将補だったTさんから、広田弘毅の妻の静子さんの自殺は、自分が福岡の玄洋社の中心メンバーの娘であり、広田が日本右翼の妻を持っていると裁判官たちに誤解され、罪が重くなる事を恐れて夫のために自殺したのだとの見解をうかがった。 大変参考になった。 おそらくその通りだろう。 M御夫妻からは和風の風呂を作ったので、今度ロスアンゼルスに来たら是非寄ってくれと言われた。 ありがたいことだ。 皆さんと九時半ごろ別れ、コーディネートスタッフと暫く同じ場所で懇談。 十時半、ホテルにU君に送ってもらう。 十一時、ベッドにごろりと横になったら、そのまま眠ってしまい、十二時半目がさめて、風呂に入り、着替えてベッドへ。 あまりよく眠られない。 明日は日本へ帰る。 やはり日本はいいと思うが、このロスアンゼルスの空間の広さ、広がりは世界観を形作るのに大いに影響するだろうなと思う。 日本を知るためにも、米国の時間と空間、人々から学ぶことは本当に多いと改めて思った。

現地時間五時十分起床。 とろとろしていたので、ええい起きちまえとベッドから抜け出した。 会社に国際電話、編成のHが出て夜明けだというと驚いて「そうですよね」と穏やかに笑った。 井上は電話に出ると「今、空港ですか」とのんびり聞いてきた。 まだ、ホテルの夜明けだよと言うと、「ああそうか、そうですよね」と答える。 いつものやさしい日本と日本人たちである。 二千人委員会の本日の報告を聞くと、この日は十五人加入で千三十六人になったという。 窓外を見るとまだ暗い。 夜明けまではまだ間がある。 (了)

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